産地や生産者にこだわったクオリティ高い花を、
プロの手で最良の状態にして提供する。
気さくでトーク自慢の楽しい店主が作るのは、
贈り手の気持ちを託す珠玉の花束。
花とお客をこよなく愛す、町の花屋さんが健在だ。
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通りに面して大きく窓が開かれ、店内は開放的空間となっている。
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中森さんの母の手によるフラワーアレンジメント
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多肉植物の小さな鉢はインテリアにぴったり
店長からの一言
中森富久さん
花には、人を癒す力がものすごくあると思っています。花を売るだけでなく、さまざまな講座やイベントで楽しめる場所にもしたいと考えています。どうぞ、気楽な気持ちでお店に遊びにきてください。トークには、自信ありですから
基本情報
店名 | 中森生花店 |
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住所 | 福生市本町91 |
電話 | 042-551-0378 |
営業時間 |
9:30~19:00 (日・祝~16:00) |
定休日 | 不定休 |
駐車場 | 2台 |
カード使用 | 不可 |
URL | https://www.facebook.com/nakamori878/ |
ストーリー
花屋の仕事は、お客の思いを形にすること
店主の中森さんは、花の持つ可能性を信じている。確かに一輪の花があるだけで、すっと心が慰められる。これが、花の持つ力だ。しかも、花に同じものは一つとしてない。同じ産地や生産者のものであっても、一つ一つ違う。中森さんは言う。
「花との出会いは一期一会だと思います。季節、産地、生産者によって全く違う。同じ花を使って花束を作っても、毎回、違う。そこが奥深いし、面白みですね」
中森さんは花束を贈るお客に、相手がどういうタイプの人なのか、どんな用途でどのようなシチュエーションで渡すのか、お客とコミュニケーションを取りながら、渡す相手を限りなくイメージしてひとつの花束を作り上げる。
「お客さまの思っていることを形にして差し上げる、それが花屋の仕事だと思います。技術というベースの上に、お客さまとのコミュニケーションを通し、どのようにすればよいのか、いろいろ考えながら、自分の感性を乗せていく。お相手のイメージを考えて花をセレクトして、そして花束というひとつの形にして渡すという作業は、いくらやっても飽きることはない奥深いものです。とにかく、お客さまに喜んでいただきたいんです」
お客が喜ぶように心を砕き、唯一無二の花束を作り上げる。これほど、こちら側の思いを大事にしてくれる花屋さんがあるなんて・・・・。心から感謝したい。だってお客にとっても、一期一会の心震えるブーケを手にすることができるのだから。
最もいい状態の花を、お客の手に
切り花の仕入れは板橋の市場へ週2回、鉢物は世田谷まで週1回、通っている。近隣に花の市場があるのに時間をかけてまで遠くまで通うのは、「売れる市場」にはクオリティの高い花が集まるからだ。
「買ってきて、花がすぐダメになるのが嫌なんです。遠くまで通うのは、安心できるからなんです。いいものを揃えたいですし、うちはこの時期の、この産地の、この生産者の、この花はいい、というデータを持っているという強みがあります。その年ごとに日照時間や天候で全然違いますし、いつもアンテナを張ってますね。いいものは、見ればすぐにわかります」
例えば、百合。新潟の百合は持ちがいいが、埼玉の百合はすぐに咲いてしまう。その土地の気候や土の状態によって花は違うからだ。中森さんは買ってから、1週間は楽しんでほしいという思いがあるため、時期と産地を考えて調整しながら仕入れを行う。
大変なのが、水やりだ。花が店に届けば、朝から夜までかかるほどの裏方仕事だ。
「葉をとって茎の下を切って、薬をつけた水に入れるか、お湯に入れるか、先端を焼くか、それぞれの花によって一つ一つ、水やりの仕方が違いますし、季節によっても変えています。産地によっても違うし、常にどの方法がいいのか、試行錯誤しながら検討していうという、繰り返しです」
華やかな世界の裏側に、これほど大変な作業がることを初めて知った。すべてが水仕事ゆえ、冬場はどれだけ大変だろう。でもこれも全て、お客のため、当たり前のことだとサラリと笑う。
「基本、売るのは仕入れの翌日からにしています。一晩たっぷりと水を吸わせて、お客さまにお渡ししたいんです。それで、花の持ちが違いますから」
夏は冷涼地の花を仕入れ、冬場は暖地のものに変えていく。水やりの仕方も検証を繰り返す。ショーウインドウを華やかに彩る花たちは、そうやって細心の気配りを経て私たちに渡されるのだ。花を愛し、お客を大切に思ってくれる心が、中森生花店の花々にしっかりと宿っている。
売るだけでなく、花を楽しむ広場のような店に
駄菓子屋から花屋へ、進駐軍に育てられた店
前身は祖父母が経営する駄菓子屋だったが、戦後、知人に勧められ、生花店に形態を変え、今年で57年を迎える。花屋への転身は、進駐軍の需要を見越してのことだった。当時、福生界隈では同時に、数軒の生花店が営業を開始した。クリスマスにはもみの木やポインセチアが飛ぶように売れ、イースター、ハロウィンとイベントのたびに、横田基地からお客が押し寄せた。
「父は英語なんか習ったことないのに、普通に、英語で会話していましたね」と中森さん。
高度経済成長期に入ると、生け花が結婚前のたしなみとなり生け花ブームが起こり、稽古用の生花の需要が増えて行った。
中森さんは現在52歳、大学卒業後にフラワーデザインの専門学校へ入学、一通りの技術を学んだ後、交換留学生としてアメリカへ旅立った。1989年、24歳の時だ。オクラホマやシカゴで研修を終えた後、自由気ままにアメリカ各地を周った。時に、花に関わるショーでバイトをしながら、「花より、アメリカの自由なお国柄を学んだ」2年間だった。帰国後は、「家業を継ぐのは当たり前だから」と店に入った。何らかの野心があったわけではなく、「なんとなく、あまり考えもせずに」花屋になった。
花を売るだけでなく、集える空間に
中森さんが花の面白みに気付いたのは、ここ数年のことだという。今は心から「お花って、いいよね」って思う。人を癒す決定的な力をもつ商品を、その人が望むような形に作り上げることに深い喜びを感じている。
「お花が、同じ種類で10色あるとします。ラッピングも10色ある。これだけで100通りの組み合わせができるんです。さらに、ここにリボンも付く。深いなーと思います。いくらやっても、飽きないですね」
折れるなどして売り物にならなくなった花はコップに差し、下げてきた花輪でも咲いている花は廃棄しないで、花瓶に挿して最後まで見届ける。「捨てるに忍びない、かわいそうだから」と。
2年前に店を改装した際に、店内に大きなテーブルを設えた。窓枠を大きく取り、光が差し込む開放的な空間を作ったのは、いろいろな人が集える空間にしたかったからだ。
「今、生け花やフラワーアレンジメントの講座などを、このテーブルを囲んでやっているんです。コーヒーも自由に飲んでもらえるようにして・・・・・。これからは花を売るだけではなく、いろいろな講座を増やしていって、人が集えるような場にして行きたいと思っています」
花を愛で、その手で花と触れ合えば、いつしか人は笑顔になる。花を通して笑顔の輪を広げていく中森さんの試みは、大切な居場所を私たちに提供してくれている。癒しの場が、すぐそこにある喜びをかみしめたい。