真骨頂は、華やかなショーケースではなく、
店の奥に鎮座する作業台にあった。
伝統的な「鍛造」と呼ばれる製法で一点一点、
制作されるジュエリーたち。
細やかな職人技が息づく貴重な店が、足元にある。
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グリーントルマリンとカラーダイヤモンドのペンダント。北村さんの手による、色のバランスを考えたオリジナル
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オーダーで作られた、マリッジリング。鍛造で作るマリッジリングは耐久性に優れ、肌に吸い付くようだという。自分たちだけのオリジナルリングも、北村さんにお願いすれば叶うのだ
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注文をいただいて作る個性的なネックレス。斬新なデザインを可能にするのは、職人の確かな腕
店長からの一言
北村良之さん、北村緑さん
宝石店というと敷居が高いと思われがちですが、庶民的にやっていますのでお気軽に来ていただければと思います。結婚指輪は好きなデザインに仕上げられますし、制作の過程もご覧になれます。また形見でいただいたものなどの、リメイクもできます。お客さまのご要望に何でもお応えいたしますので、どうかお気軽にお店へいらしてください。
基本情報
店名 | 北村ゆびわ店 |
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住所 | 福生市本町8-4 |
電話 | 042-551-0493 |
営業時間 |
10:00~19:00 |
定休日 | 日曜 |
駐車場 | 1台 |
カード使用 | 不可 |
URL | http://www.kitamura-yubiwaten.com |
ストーリー
女性の夢である、一点もののジュエリーを
扉をくぐるまで、素晴らしいジュエリー職人に出会うとは思ってもいなかった。指輪やネックレスを市販する店と思い込んでいたからだ。店主である北村良之さんに見せていただいた店の奥にある作業台は、化学者か歯医者さんの仕事場かと思うほど、さまざまな道具や薬品のようなものであふれていた。昔ながらの秤やよくわからない機械も多い。ここに座って北村さんは眼鏡をかけ、一日中、指輪やペンダントなど金属の加工を行っているのだ。
「うちのメインは、作ることです。鍛造というやり方なのですが、プラチナや金をロー付けという溶接技術でつなぎ合わせて加工していきます」
バーナーの炎で金属を溶かし、歯を削るような道具で研磨していく。とても緻密で細やかな作業、見ていて気が遠くなるほどだ。
それにしても北村さんはサラリというけれど、「鍛造」なんて、初めて聞く言葉。調べてみると金属素材をローラーでのしたあと、熱を入れながら叩き、鍛えて締めていくという、日本刀に使われる製法で、多くの手間と職人の経験や技量が必要とされる方法なのだ。指輪の枠を作るには、一日8時間作業をして1週間もかかるという。
「石だけを持ってきて、ペンダントや指輪の枠を作ってというオーダーメイドのお客さまや、お姑さんからいただいた指輪を今風にしてほしいとか、お客さまのご要望には何でもお応えしています」
鍛造で作る宝飾品は、鋳造のように型に流し込むのではないため大量生産できず、数が少ないという。まして、北村さんが作るものは修理以外はすべて、一点ものだ。
北村さんの横で奥さまの緑さんが、「一点ものって、女にはすごくうれしい」とにっこり。ジュエリーにとんと縁がない私でも、素直にうなづいた。
繊細で細やか、デザイン性の高いオリジナルジュエリーも
緑さんは結婚記念日に毎年、夫からオリジナルジュエリーをプレゼントされる。見せていただいたそれらの指輪は一つ一つデザインが異なり、宝石の色も違う。どれも、ため息が出るほど繊細で美しく、個性的だ。緑さんは言う。
「私が子どものような絵を描いて、イメージを伝えるだけいいの」
北村さんは、このようなオリジナルジュエリーにも力を入れている。年間10~20の新作を発表するというから驚きだ。
北村さん夫妻は今、結婚指輪をオリジナルで作ってほしいと願っている。
「値段は、普通に買うものと変わらないですよ。お互いの名前を入れたり、表に字を透かしたりと自分たちの好きなデザインでできますし、制作段階をメールで送ったりしています。人生の節目に一つ、思い出を残していただければと思います」
毎日つけることになる、結婚指輪。市販のものはほとんどが鋳造製造だが、金属を叩く鍛造の指輪は耐久性に優れ、肌に吸い付くようだという。一生に一度(としたい)の指輪だからこそ、職人が丹念に作り上げたものを選びたい。
「新しいものを作らなくても修理をしたり磨いたりして、そうやって宝石を楽しんでもらえれば。だって、宝石ってキレイですもの」
緑さんの言葉にうなづくばかり。ジュエリーのことが何でも相談できて、しかも「庶民的価格」で宝石の楽しみを教えてくれる店があるなんて、福生の「女子」は本当に幸せだと心から思う。
宝石を、もっと気軽に楽しんで
祖父、父と受け継がれてきたDNA
創業は戦前、巣鴨で北村さんの祖父が金属の宝飾品加工店を起ち上げた。戦火が激しくなり、八王子の高月という妻の故郷に疎開、そのまま戦後を迎え、福生に店を構えた。西多摩に宝石店はないため広いエリアからお客が訪れ、とりわけ米兵たちで店は非常ににぎわったという。
父も宝飾加工の職人だったが早くに亡くなり、北村さんは明治34年生まれの祖父が作業をする姿を見て育った。高校を都立工芸・金属加工科にしたのもいずれ、祖父の仕事を継ぐつもりだったからだ。卒業後6年間、池袋にあるジュエリー加工会社に住み込みで働き、昔ながらの職人仕事を兄弟子から教わった。最初は小間使いのようなことから、やがてペンダントの枠、指輪の枠などを任せられるようになった。
「一人前になるには、6年ぐらいかかるんです。それで、福生に戻ってきました」
お客は祖父の代からの、昔からの人が多い。使い勝手のいい、他にはない貴重な店だと十分にわかっているからだ。
最も多い仕事が、婚約指輪のリモデルだという。
「時代時代の流行はありますが、ダイヤモンドの輝きは年月が経っても変わらない。そうやって時代に合ったデザインにして、受け継がれていければと思いますね」
それはとてもステキなことだと、心から思う。
宝石を絵具のように使って、芸術性の高いものを
北村さんの強みは確かな技術と経験に裏付けられた、オリジナル作品だ。
「まず先に、宝石があります。石を見て出来上がるイメージがあって、デザインを絵に描きます。それからは、宝石で絵を描くイメージですね。石をどう入れて行くかに腐心します。絵のようなジュエリーを作っていければって思っています。質のいい石を揃えることにも、自信があるんですよ」
職人であり、まさに芸術家。繊細な技巧が施された数々の作品は、とてもまばゆく眩惑的だ。古来より、なぜ女性がこの輝きを最も美しい形でまといたいと思い続けてきたのか、その思いが分かるような気がした。ジュエリーとは、何と奥の深いものだろう。
「他のお店に行っても、私が付けているものは『ないわ』って、それがどれだけうれしいか」と緑さん。
ちょっと壮大かもしれないが、世の女性たちにとって、北村さんのオリジナルジュエリーを身に付けることを、これからの夢に掲げてもいいのかもしれない。
「32年やっていますが、作るものが毎回変わるので全然飽きませんね」
北村さんの穏やかな笑顔が何より、うれしい。