店内に鎮座する、2つの小さな素焼きの甕(かめ)。これは試飲用の芋焼酎。
しかも、なかなか手に入らない希少品という。客の要望・嗜好に真摯に応えようと日々奮闘する酒店が、地元にあるということは間違いなく幸運だ。
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山陰・境港の酒蔵の「千代むすび」、「吉乃川」の「極上倶楽部」がそろうのは他に、そうはない。
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ワイン・日本酒セラーは、気温20度前後、湿度は40%に保たれている。
店長からの一言
山下 進さん
この地で酒屋を開いて、60余年。本気で酒屋をやっていくには、こだわりの酒をいかに揃えられるか、店の個性をより強く出せるかだと思っています。何より最優先するのはお客さんの嗜好、こだわりです。こんな酒屋への思い入れを、わかっていただければ幸いです。
基本情報
店名 | 山下酒店 |
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住所 | 福生市志茂160 |
電話 | 042-551-0210 |
営業時間 |
10:00~20:00 |
定休日 | なし |
駐車場 | 5台 |
カード使用 | 不可 |
URL |
ストーリー
<芋焼酎ブーム>の時代にあって・・
甕から試飲できる焼酎は、「小鶴」と「磨千貫」の2種。どれも関東ではめったに手に入らない、本場・鹿児島の芋焼酎。まろやかで奥の深い味わいは、今までの焼酎の概念を心地よく崩してくれる。 甕の横には、「唯今乙類焼酎(芋焼酎、米焼酎、麦焼酎、とくに芋)が人気です」と、店主自ら記した張り紙。店主・山下進さんは、「ここ1年は焼酎、特に芋焼酎のブームが続く」と断言する。だからこそ、客の要望にこたえるべく希少価値の芋焼酎を求めて奔走する。「まだまだ、暗中模索状態なんだけど」と笑いながら・・。 この店主の思いは焼酎コーナーに立った瞬間、自明のものとなる。乙類焼酎だけで、何と300種。圧巻だ。「豊かな香り、芳醇な味わい、おすすめの芋焼酎」、「格調高い味、深みある香りの米焼酎」と、店主自らテイスティングしたコメントが記されているのも、ありがたい。「西多摩ではうちだけ、都内でも珍しい焼酎も・・」というのだから、宝物に出会える喜びもある。
専門店化と宅配が、二本の柱
山下さんは町の酒屋が生き残っていくためには、「お客さんにとって価値のある商品をどれだけ揃えられるか、いいものを安く提供できるか」に尽きるという。 日本酒も青梅線沿線の地酒を全種類置き、さらに地方の小さな蔵の、個性ある酒を取り揃える。メーカーと直に付き合って、「特約販売の権利を取ったら、今度は自分で市場を作る努力をする」と山下さん。 将来へ向けた「町の酒屋」の、もうひとつの柱が「宅配」だ。ビールや酒類だけでなく、米、卵、調味料、食品と扱うものは多岐にわたる。夜9時まで配達OKで、しかも配達料は無料。「高齢化社会を意識してですが、いわば昔の御用聞きのシステムですよ、コツコツ人間関係を作りあげていくという。<重いものは何でも運びます>を合言葉にやっています」とのこと。 間違いなくここに、時代とともに変化しつづける酒屋がある。
こつこつと、「信用」という種を蒔き・・ 山下酒店誕生秘話
小河内から、福生へ―
深く切れ込んだ谷と、幾重にも連なる山なみ―、この奥多摩湖の湖底に沈んだ村に山下酒店のルーツがある。現店主・進さんの父・山下久吉さんは、「ダム疎開」により、妻とともに生まれ育った土地と訣別し、奥多摩・小河内から、ここ福生にやってきた。そして酒屋を開業、ここに山下酒店が誕生する。時は、昭和16年のことだった。
進さんが「オヤジは、18歳で仲人をやったというほどの人なんだよ」と、父のエピソードを開陳する。「貧しい家だったから、オヤジは12歳で青梅の米屋へ丁稚奉公に行ったらしいよ。祖父が早く亡くなったから家に戻って、炭の仲買をやったり・・」と進さん。やがて久吉さんは、奥多摩・氷川に酒屋を開く。当時、清酒は統制商品ゆえ、販売許可の免許を取るのが大変だったというが・・(このおかげで、福生でもすぐに酒屋を開業できた)。そして「平らでいいから、出てこいよ」の呼びかけに応じ、山の生活と別れ、「平らな土地」=福生を新天地に決めたのだった。
地域を大事にしなさいよ
「よそ者だから、なじむまでは大変だったらしいよ」と進さん。なのになぜ、ここまで店を育てることができたかという問いに、すぐさま「信用だね。オヤジはまじめにコツコツ信用を築いてきた」と声が返ってきた。出征し、シベリアに抑留されたという久吉さん。そのつらい体験ゆえか、「常に困った人の面倒を見ながら、商売を広げていった」という。
今もかくしゃくと元気な久吉さんの口癖は、「地域を大事にしなさいよ、人間関係を大事にしなさいよ」だという。そうやって久吉さんは新天地に、誠実さという種を蒔き、「信用」という果実を育てていった。久吉さんの基本は、地域に貢献することだったと進さんは語る。
人と人とのかかわりの中で
進さんは45歳で店を継いだ。そして父の時代では到底考えられなかった、新しい試みにチャレンジした。それは、価格破壊。「安売りをやった年末なんて、朝から晩までレジはずっと行列。もう、お客の顔も見られない。そんな暇はないの。商売として正しくないと思ったね」と進さん。3年半、一日も休まず、必死で酒屋に専念した。当然、売り上げは伸びた。だが残ったのは、「むなしさ」だったという。進さんは大事なことに気づいた。それは人間関係だった。一転して町会役員、PTA会長、市会議員も三期務め、50代で議長に就任。父がそうであったように、「地域に貢献」することを基本とした。そして59歳の今春、引退。再び、酒屋に戻ってきた。今度は、息子という新たなパートナーを得て・・。
「スーパーが酒を売る時代にあって、商売を継続していくには、安さじゃなく、支持の得られる商品をどれだけ揃えるかということと、お客さんとのコミュニケーションだと思うんです。それもべたべたした関係じゃなく、あっさりと広く浅く。やはり顔の見える関係を大事にしてやっていきたいですね」
モノだけがネットを通して行き交う時代にあって、福生に「町の御用聞き」が戻ってきた。人と人とのかかわりの中で育まれる、商売という営みが・・。