遠くからでも駆けつける、カードゲームの聖地
オモチャノフルヤ
おもちゃのふるや
「遊戯王カードの昔のものが、探しやすい」に自信があります
- 住所
- 福生市福生767-1 フルヤビル3F
- TEL
- 042-551-0653
「おもちゃのふるや」だけど、おもちゃはない。
店内のあちこちに、カードゲーム対戦中の若者の姿が。
合言葉は、「ふるやに行けば!」。
都内からもやって来る、プレイヤー垂涎の聖地が、
福生駅前に、隠れ家のように存在する。
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今、流行りの「遊戯王」のシングルカード
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ふるやが誇る、シングルカード・ファイル。MTG、遊戯王、デュエル・マスターズ、それぞれのファイルがある
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32席分ある、フリーデュエルスペース。土日は5〜6種に公認大会を開催
店長からの一言
古谷明善さん
カードゲームをやったことがない方でも、お客さまはやさしくルールを教えてくれるので、ぜひ、遊びに来て、体験してみてください。 自分で考えた組み合わせのカードで勝った喜びは、格別です。対戦を楽しんでみてください。
基本情報
店名 | おもちゃのふるや |
---|---|
住所 | 福生市福生767-1 フルヤビル3F |
電話 | 042-551-0653 |
営業時間 |
12:00~20:00 (月曜~金曜)11:00~20:00 (土曜・日曜・祝日) |
定休日 | 火曜 |
駐車場 | 近隣の有料駐車場をご利用ください |
カード使用 | 可、キャッシュレス決済対応 |
URL | http://furuyatoys.co.jp/ |
ストーリー
異名はオタクの聖地、カードゲーム道場とも
ビルの3階にこんな世界が待っているとは、エレベーターに乗るまでは思いもしないことだった。
「おもちゃのふるや」と看板を掲げているが、店内にはおもちゃは一切ない。ショーケースに所狭しと並ぶのは、さまざまなカード。その数たるや、尋常じゃない。見る人が見れば、身震いするほどのものなのだろう。
店内にはテーブルがいくつも設置され、コロナ対策のビニールを挟んで、1対1でカードゲーム対戦中の小学生や中学生の姿があちこちに。
店主の古谷さんはこう語る。
「20年前、店が3階になったことでカードゲーム専門店に特化しました。このテーブルが大事なんです。ここが無料の対戦場所となる。隠れ家のようなところで対戦できるのが、プレイヤーにとってはいいようです」
カードを売るだけの店は多々あるそうだが、対戦場所を提供してくれる店は貴重ということで、いつしか、ふるやは「オタクたちの聖地」、あるいは「カードゲーム道場」と呼ばれることに。
今はコロナの感染対策で利用制限を設けているが、最大で32名が対戦できるという、一大アミューズメントスポットとなっている。
「来る子たちには、オレに挨拶をしないと座らせないと言ってるんです。地域に根ざすおもちゃ屋として、子どもたちの教育のために、ですね。だから、みんな、ちゃんと挨拶しますよ。ここはお節介なおじさんとおばさんがいて、変なことをしたら叱ってくれる店になってますね」
週末は、20年前に小学生だった現・社会人たちが主になるが、平日の放課後は文化系男子たちの居場所となっている。
「ふるやに行けば、誰かがいるからってやってきますね。友達同士で来て、自信がつけば一人で来るようになったりと、うちはまるで、託児所ですよ。普段、目立たない子がここで自信や度胸をつけたり、友達が増えたりと、帰宅部の子たちがイキイキできる居場所になっています」
楽しそうに過ごす小中学生を見ていると、この場所があって本当に良かったと思えてくる。
どんなカードでも探すことができる店
都内からでも「ふるやに行けば!」とやってくるのは、対戦目当てだけでなく、あるゆるカードが調べやすいという、独自のシステムがあるからだ。それが、ふるやが誇る「シングルカードファイル=資料室」。店の一角に、背にラベリングされたファイルが数十冊、ズラリと並んでいる。
「シリーズごとにファイルを作り、カードをファイリングしています。なので、スマホで検索して、このシリーズに収録してあると分かれば、そのファイルを開けば、お目当てのカードにたどり着くことができます。だから、『ふるやに行けば、あるかもよ』と遠くからでもやってきます。どんなカードでも探せる店だと自負しています」
扱っているのは遊戯王、ポケモン、デュエルマスターズ、MTG(マジック・ザ・ギャザリング)、デジモンなど。それぞれが自分で考えたカードを組み合わせた、カードデッキで戦う。ゆえに、プレイヤーたちの最終目標は誰にも負けないカードデッキを作ること。
ふるやでは定期的に大会を開催、そのたびにアツいバトルが繰り広げられる。
「カードゲームの魅力は、自分で考えたデッキで勝った時の喜びですね。それと、レアカードが当たった時の喜び。男の子たち、超うれしそうな顔をしますよ。うちは、よく当たると言われています」
20年前にカードゲーム専門店に特化して以来、一番の売りであり自慢は、「ふるやに行けば、欲しいカードが探せる!」こと。ゆえに、プレイヤーたちは今日も目をらんらんと輝かせ、ふるやを目指すのだ。
合言葉は、ふるやに行けば!
駄菓子屋から、人形とおもちゃの店へ
創業年ははっきりしないが、前身は駄菓子屋だったという。ただし、古谷さんの父は鉄工所に勤務するサラリーマンで、母が一人で店を切り盛りしていた。やがて店で扱った節句人形が、横田基地のアメリカ人に大いに受けた。
もともと地域的に男児が生まれれば破魔弓や破魔矢を、女児なら羽子板を送るという風習があり、雛人形や端午の節句の兜や鯉のぼりなどの地元の需要は根強くあった。それに加え、アメリカ人が帰国のお土産に大量に購入するために、店は大いに繁盛した。仕入れが間に合わなくなり、そこで父が勤務を辞め、仕入れを行うようになった。
1954(昭和29)年には、「人形とおもちゃの店 ふるや」の屋号で法人を設立、節句人形だけでなく、おもちゃも扱う店となった。
高度経済成長期を経て時代が進み、住居の関係上などで鯉のぼりや雛人形を置く家がみるみる減って行った。そこで、おもちゃだけを扱う店に業態を変えた。これが、古谷さんが小学生の頃だ。
「いつもおもちゃに触れる環境にあったから、作りたいプラモデルはほぼ作ってましたね。男の子はプラモデル、女の子はリカちゃん人形とかバービーちゃんの時代です。野球やドッジボールなどのボール類、けん玉、メンコ、おはじき、ベーゴマなど、子どもが遊ぶものはすべて置いていましたね」
それにしても、おもちゃ屋さんの子どもって、何てうらやましいんだろうと改めて思う。
TVゲームが変えた子どもの遊び、カードゲームに特化
1983年は、子どもの遊びがそれまでと一大画期をなす年となった。それが、ファミコンの誕生だ。
「任天堂のゲーム&ウォッチから始まり、ファミコン、テレビゲームなどが続々登場し、子どもの遊び自体が、画面での遊びに変わりました。これで、日本全国のおもちゃ屋が変わりましたね。うちでも任天堂のコーナーを作り、全体の半分以上を占めるようになりました」
この時、古谷さんは大学生。両親とも高齢で流れに対応ができないため、「心配になっちゃって」店を手伝うようになった。
「両親は大正生まれだったので、もともと付いていくのは無理だった。自分は大学ではアイスホッケー三昧、卒業後も30歳までは青梅スケートセンターのクラブチームに所属し、店の手伝いと選手の二足わらじで、店をちゃんと継いだのは30歳ですね」
1997年、店舗をビルに建て替えたことを契機に、古谷さんはカードゲームに特化した店に変えることに決めた。
「何でも扱っていると、競争に負けちゃうんですよ。まして、店が3階になったってことは、物販としては成り立たないわけです。なので、カードゲームの専門店化を図り、対戦場所を無料で提供する形にして行ったのです」
ここが、“カードゲーム道場”の始まりとなった。以来20数年、当時の小学生たちが未だ、ふるやにやってくるわけだから、お客の年齢層は厚みを増すばかり。
「うちは昔のカードも買える店として、知られています。よそではカードが箱に入っていてみんな、黙々と探すのですが、“資料室”にファイリングしてありますから、どんなカードでも探せる店だと言い切ってもいいほど。とくに、遊戯法カードの昔のものも探しやすいというのが、売りですね」
子どもから大人までが熱狂する、カードゲームの聖地がまさか、地元にあったとは。強くなるためには新しいカードを買わないといけないためお金はかかるが、居場所のない子どもに、勧めてみるのも悪くない。