住みやすい家に、ゆったりと住んでほしい。
だから、高気密・高断熱の新工法に特化する。
広々とした空間のためには、家具まで作る。
お客の希望にとことん寄り添い、
新たな住環境を提案する、まさに進化型工務店だ。
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高機密。高断熱の新工法で造られた家。吹き抜けでも、温度が一定している
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「玄関正面に、タイルを貼ってほしい」というお客の要望に対応。どんな細かい注文、思いにも柔軟かつ真摯に応えていく
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部屋に合わせて、作り付けで家具を造る。すべてオーダーメイドだからすっきり、使い勝手もいいと好評だ
店長からの一言
原島 大輔さん
住宅のプロとして日々勉強をつづけております。家のことで不明な点、希望等ございましたら一度お電話下さい。
基本情報
店名 | ㈲エイダイ |
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住所 | 福生市福生2436-6 |
電話 | 042-551-3842 |
営業時間 |
8:00~18:00 |
定休日 | 日曜 |
駐車場 | あり |
カード使用 | 不可 |
URL | http://www.ei-dai.co.jp |
ストーリー
光熱費を下げる、エコ住宅を
「ウチは伝統工法をベースにして、新工法・エコ住宅に特化しています」
原島さんは冒頭に、こう断言した。それが「高気密・高断熱住宅」だ。最近、CMなどでよく耳にする言葉だが、調べれば「建具や天井と壁の接合部分の隙間を少なくし、気密性を高め、省エネ効果と快適性を両立させることを目的とした住宅」とある。
原島さんは、一般の高気密住宅のさらに「その上」を実現するという。性能の指標として、1平方メートルあたりの隙間が5平方センチ以下が理想とされる中、「ウチでは、1平方メートル当たりの隙間は、針の穴ひとつ」と断言する。
「泡断熱という、いい断熱材で、家の中を魔法瓶化するんです。風が入って来ない、熱が逃げない住宅。夏場でも陽射しを遮れば、クーラーをかけなくとも23~24度。湿度は換気扇が、概ね40%前後にコントロールします」
高気密・高断熱の家には「熱交換型換気扇」が必須で、これはたとえば、28度の空気を22度に下げて室内に送り込むというスグレモノ。室内の温度を一定に保ちながら、新鮮な空気が入ってくるというシステムだ。家族に花粉症があればフィルターで取り除くことも可能という。光熱費を格段に抑えられ、しかも健康にもいいというわけだ。
昔ながらのやり方をベースにして、住みやすい家にこだわった結果、辿りついたものだった。
現場に合わせて、考えながら造る
高気密・高断熱の工法を原島さんはまず、大手メーカーの製法で勉強した。メーカーからのお墨付き「高気密・高断熱の認定」を取得するのは、並大抵のことではなかったという。こうして修得した技術をベースに、原島さんはさらに現場で工夫を重ねる。一度、壁の裏側に湿気が入ったという失敗があった。
「それからは手間がかかろうが、二段構えで湿気を入れない工法にした。やりながら、いつも考えるんです。どうすれば、高気密・高断熱の性能が上がるのか。グレーな部分は残さない。徹底して突き詰めることでしか、お客さんの要望に応えられないと思っています」
耐震補強にも力を入れ、リフォームも「ただ、キレイにする」のではなく、高気密型へ変えていく。それは、より快適に住んでほしいからだ。
「一日で長くいる場所だけを耐震補強やリフォームをしたり、お客さんにとっていかようにも、都合のいいやり方を提案できます。それが、地元の工務店の強みです」
「広い家に、悠々と住んでほしい」という願いがあるからこそ、家具も自ら手作りする。
「設計の段階で一部屋に必ず一個、収納を作ります。俺が作る家は、デッドスペースはゼロですよ」
お客の希望を聞き、好きなようにオーダーメイドで作り付けの家具まで作ってしまうとは、何とありがたいことだろう。原島さんはサラリと、笑って流す。「必要最小限の家具で、のびのびと暮らしてほしいんです」と。
原島さんの大工としての強みは、現場にあるという。ゆえに声がかかれば、よその工務店の家造りにも参加する。どの現場にも必ず、学びがあるからだ。現場の中で考え続け、よりよいものを志向する。それだけではない。常に広く情報を集め、マニュアルを調べることも怠らない。
「同じ工法でも、パターン化はしない。だからいつもオーダーメイドで、オンリーワン」
ここに、新しい時代を生きる職人の矜持を見る。
「原島工務店」から、「エイダイ」へ
丁稚奉公から、一人前の職人に
創業の地は、奥多摩・氷川。原島さんの祖父が大工として起業したものの、小河内ダムの工事の関係で福生へ移転。以降、親子三代に渡り、福生の地で工務店を営んできた。祖父の代は「原島工務店」、父の代は「ハウジング原島」、そして三代目は「エイダイ」。
代を譲るに当たって原島さんの父が、妻の名である「永子」と本人の「大輔」という名から一文字ずつ取り命名、「永く、大きく」という思いがその名に託された。
原島さんは高校の建築科を卒業後、住み込みの見習い大工として修業の道に入った。朝6時に起きて作業場の掃除をして、朝食を食べて現場へ向かうという生活を4年間、送る。3食付で7万という給金はすべて、道具代に消えた。
「俺がついた親方は、次々に仕事をやらせてくれる人。普通は4~5年経ってやっとできる墨付けも、2年目でやらせてくれた。数をこなした方が勝つんです。親方が、『俺が責任を取るから、やってみろ』と。ありがたかったですね」
通常、5年かかると言われる大工技術を2年で身に付けた。年季が明ける4年目には一棟、一人でできるまでになっていた。一人前になるのに10年かかると言われる大工の世界で、異例の早さだった。
「経験量が半端なかった。大工としての俺の性分はとにかくいろいろ現場を経験して、それを財産にしていくこと。一職人として、死ぬまで勉強だとそこで学びました」
かつて職人とは親方の家に住み込んで、技術を身に付けて行くものだった。しかし、それは過去の話だ。丁稚奉公など、もはや死語だ。しかし原島さんは敢えて困難な道を、大工としてのスタートに選ぶ。18歳からの4年間を丁稚奉公に捧げた情熱こそ、原島さんの一職人としての原点なのだ。
地元の職人チームだからこその、細やかさ
原島さんは自らを、「棟梁」とは名乗らない。一大工、せいぜい現場の長だと。
「棟梁って神さまじゃないですか。俺は、一職人でいいんです。だって一つの家を造るには大工だけじゃだめなんです。左官、電気、内装、水道とさまざまな分野の職人が一人欠けても、家は建たない。そのチームにおいてはみんな一緒、平等です」
各分野の職人もみな、福生の住人であることが強みだという。
「だから常に迅速で、心のこもった仕事ができる。基地がある福生ならではの防音工事も得意ですし、家に関するすべての分野の職人を統括していますので、襖一枚から泡断熱の高気密の家まで、家の事なら何でも、安心して任せていただけます」
先代の頃から地域への感謝祭や、お客を招いての餅つき大会を行ってきた。年に一回はカレンダーを持って、お客の家を回り点検業務も怠らない。つねに地域とお客を大切に考えるのが、初代から変わらぬ信念だ。
「お客さんと疎遠にならないように必ず、年に一回はご挨拶にうかがいます。高気密・高断熱の家って、入ったばかりの時は皆さん、驚くんですが、慣れちゃうと“普通の家”になっちゃう。その良さを、思い出してもらうためにも……」
飄々とした気さくさこそ、お客から慕われている所以だ。だから、よく声がかかるという。「いつ、点検、くんだよ」と。