表具屋ではなく、敢えて「経師屋」と胸を張る。
三代目・若き店主は、一職人として、
経師師という職業を知ってほしいと訴える。
襖や障子の張り替えから、内装全般まで、
伝統技能に裏打ちされた確かな技が、わが街には生きている。
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銀座通りに面した仕事場。気軽に作業を覗いてほしいという
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障子の腰板で守さんが作った、玄関屏風。表具師の技が随所に
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壁面ごとに色を変えたクロス工事。モダンで明るい空間に仕上がっている
店長からの一言
柘植工さん
一つ一つ、真剣勝負で仕事をしています。襖や障子の張り替え、掛け軸の仕立て直しから、クロスなど内装全般を請け負います。一経師屋として、日本の伝統文化の良さを残して行きたいと強く思っています。仕事場は、銀座通りにあります。経師屋の仕事がどんなものか、どうか、お気軽に覗きに来てください。
基本情報
店名 | 柘植表具店 |
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住所 | 福生市志茂192‐2 |
電話 | 042‐551‐0743 |
営業時間 |
8:00~18:00 |
定休日 | 日曜 |
駐車場 | 1台 |
カード使用 | 不可 |
URL |
ストーリー
表具屋? それとも経師屋?
インタビューの冒頭、店名の通りに「表具屋さんのお仕事とは……」と尋ねたところ、三代目の柘植工さんは敢えて、「経師屋です」と自らを名乗った。瞬間、“一経師屋”であることが工さんの誇りなのだとすっと伝わる。
「表具」とは、布や紙などを糊で貼りあわせて、襖や衝立、屏風、掛け軸、巻物、額などを作ることで、「表装」という言葉と同じ意味で使われる。すなわち、日本古来より受け継がれている伝統的な技を持つ職業で、この人たちのことを「表具師」、または「経師」という。名の由来としては、「経師」の方がはるかに古い。そもそも「経師」は古代、写経することを生業とする人たちのことを指し、それが個人による写経が盛んになると、写経後の表装の仕事をするようになったという歴史がある。それほど古来より、日本の伝統文化を支えてきた重要な技術であり、職業なのだ。
だからこそ、工さんには強い思いがある。
「今や新築の家に和室が無くなり、経師屋の仕事自体、需要がどんどん減っています。だけど、経師屋という職業を絶やしたくない、絶やすべきではない」
これが今回、Fの店に名乗りを挙げた大きな理由だ。多くの人に、経師屋の仕事を知ってほしいという思いが工さんにはある
経師屋は、内装全般のプロ
たとえば、襖の張り替え。柘植表具店での価格は、「糸入り」という紙を使った場合5200円~、「鳥の子」という和紙なら7000円~。ポストに入ってくるチラシ価格(1800円~)に比べれば、かなり高い。それは、仕事が違うからだ。
「安いのは、襖の上に新しい紙を貼るだけです。ウチでは縁を外して、襖そのものを補修します。穴が開いていればそれを埋めたり、『袋張り』もやり直します。そうしないと、襖が持たない。経師屋がやる襖は、100年もつと言われています」
「袋張り」とは、襖の下張りの工程で、茶塵紙を袋状に浮かせて貼る作業だという。襖の裏側、私たちが見えない場所には経師屋の伝統技術が潜んでいるのだ。
障子の張り替えも、プロと素人では訳が違う。
「ポイントは、糊の濃さです。糊を濃くすれば誰でも張れますが、糊を薄く付けて貼るのはかなり大変です。でもそれが唯一、木を傷めない方法なのです」
そして昨今、工さんの仕事で最も多いのがクロス貼りなどの内装工事だ。壁や天井に和紙やクロスを貼るだけでなく、床に各種の内装材を貼ったり、カーテンやブラインドなどで窓際を装飾する、インテリア部門の仕事まで請け負う。
「貸家、アパート、店舗、一般住宅などのリフォームもやっています。一つ一つ、真剣勝負です。ありがたいことにウチは祖父の代からの信用があってこの地に根付いていますが、それを失うほど恐ろしいものはないと肝に銘じています」
どんな仕事でも、工さんの姿勢は変わらない。しかし、経師屋としての醍醐味はこんなところにある。
「出来上がった襖を建てつけて、閉めた時の音ですね。ピタッという気持ちのいい音がするんです。1ミリでも狂うと、こういう音はしない。ピタッと来た時、達成感がありますね」
現代的ニーズにも応えながらも、昔ながらの技を受け継ぐ“街の経師屋さん”が、福生にはこうしてちゃんと健在なのだ。
伝統的な技を、何百年後にも残したい
はじまりは昭和10年、中野から
柘植表具店の創業は昭和10年、職人として修業をしていた工さんの祖父が中野で独立、開業した。祖母が福生出身だったこともあり昭和16年に福生へ。以降、福生の地で代々、経師師としての仕事を続けてきた。祖父は工さんが4歳の時に他界、父の守さんが跡を継いだ。
幼い頃から工さんは、父が仕事をする姿しか見たことがない。当時はそれほどまでに、襖の張り替えの需要があった。もともと家業を継ぐつもりだったが、どんなものかと大学に進学。政治経済を学ぶ場なのに周囲は授業に出てこない。それでも単位は取れる。20歳で大学を見限り中退、経師師への道に進んだ。
「最初の頃は、『この選択、間違ったかな』と思いました。もっと楽しいイメージがあったのに、最初の1年は掃除だけ。親父は道具にも触らせてくれない」
これぞ、“ザ・職人”だ。職人仕事はまず、片付け・掃除から入る。そして目で盗め、手で覚えろと、守さんは昔ながらの職人気質そのままに息子に向かった。
「『道理を知れ』ですね、親父の教えは。難しかったのは、糊付けです。糊の濃さを決めるのが大変なんです。カチカチのものを水で溶いて行って、ちょうどいい加減にしないといけない。物によっては、薄い糊、濃い糊と使い分けるんです。そのバランスを見るのが難しかったですね」
経師屋として一人前になるには、10年はかかるという。それでも5年目になれば、仕事も任せてもらえるようになってきた。
「クロスを、一人で行って終わらせて来いって。うれしかったですね。何とも言えない達成感がありました」
今や、職人歴15年。持病をもつ守さんに変わり、今は工さんが現場へ出かけていく。
伝統的建築の良さをわかってほしい
小金井市にある「江戸東京たてもの園」創設にあたり、デ・ラランデ邸の修復は壁の下地を先述の「袋張り」という技法で行わなければならなかった。いろいろな経師師に当たったそうだが、どこも経験がない。ところが、守さんにはあった。ということで都は、柘植表具店へ工事を発注。親子そろっての文化財修復という、貴重な作業となった。
「自分たちがやった仕事が残るというのは、嬉しいですね。そういう意味では、改めて伝統技法をきちんと残していかないと、と思いました。今、若者への技術の伝承をどうしていくか、具体的に考えています。われわれは、何百年も残る仕事ができるわけですから」
周囲を見れば、辞めていく表具店ばかり。息子が継がず、クロス屋に転業するケースがほとんどだという。和室が減っているばかりか、ホームセンターに行けばお手軽な襖や障子を売っている。でも、こんな時代だからこそと、工さんは思う。
「やっぱり、経師屋にこだわりがあるんです。かっこつけたいんですよ。やり方によっては魅力のある職業だし、親父は『おまえの好きにしろ』と言ってます。これからは営業にも力を入れ、経営力も磨いて行かないと……」
工さんが現場を飛び回る一方、銀座通りに面した仕事場では守さんが今日も、コツコツと作業を続けている。今、守さんが廃材で作る、棚などに飾る小さな「玄関屏風」がひそかな人気だ。それは「紐蝶番」、「無双」という風抜きなど、まるで経師の技の博物館。経師としての技術を生かし技術を残す「玄関屏風」は、柘植表具店3代の矜持と誇りを体現していた。