看板はお店とお客を最初につなぐ、
大切なコミュニケーションツール。
お店の思いや願い、雰囲気を形にすべく、
日々、親子で奮闘中。
誠実で丁寧な仕事こそ、信頼の賜物だ。
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書き文字のカッティングシートを切り抜き、トタンに貼って仕上げた、Fの店「安藤畳店」の看板
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カッティングシートは外部用、内部用、透過、不透過などさまざまな種類、色がある
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Fの店「アロマリラクセーション RIKAKO」の看板も手がけた
店長からの一言
堀江浩一(左)さん 堀江祐樹(右)さん
長年培ってきた看板作りのノウハウのもと、丁寧かつ誠実に作業をさせていただきます。お客さまに喜んでいただけることが、一番のやりがいです。 店をアピールするためのアイテムは、何でもお引き受けしますので、ぜひ、 お気軽にご相談ください。
基本情報
店名 | ホリエ看板店 |
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住所 | 福生市熊川941-8 |
電話 | 042‐551-1690 |
営業時間 |
8:00~19:00 |
定休日 |
日曜 祝祭日 |
駐車場 | 近隣の有料駐車場をご利用ください |
カード使用 | 不可 |
URL |
ストーリー
大事な店の“顔”だからこそ
商店街を歩いてみれば改めて、個性豊かな看板に次々にお目にかかることに気づく。看板こそ、店の“顔”、時代が変わろうとも決して無くなることはない。
60年以上に渡り看板を作り続ける、ホリエ看板店・2代目社長の堀江浩一さんは今、息子の祐樹さんとともに家業に精を出す。
「依頼を受ければ、まず、お客さんとよく話し合いますね。お客さんの意向や思い、どんな雰囲気を出したいのかを聞いた上で、色合いやデザインを変えたものを何パターンか出して、プレゼンをします。実際にお店にかけた状態のものを見てもらい、イメージを掴んでもらいます。その後、費用の見積もりを出して、制作に入ると言う流れですね。ですので、納得いただいたものをお作りできるわけです」
制作に入れば、職人技の見せ所だ。カッティングシートを切る細かい作業は、この道17年の祐樹さんが主に行う。その後、設置作業となる。
「躯体によって取り付ける条件が違いますし、安全に配慮して、どこにどのように取り付けるのか、安全に配慮して取り付け作業を行います。1メートルの穴を掘って、鉄骨を入れてセメントを流してという作業もありますね」
看板業とはどちらかといえば芸術系の仕事と思ったが、バリバリのガテン系の作業も担うわけだ。強風で看板が飛んだというニュースも、よく耳にする。ゆえに、安全には細心の注意を払って行うことが鉄則だ。
お客の要望に、幅広く対応
書き文字の看板だけの時代から、材質も文字のデザインも形状もどれほどあるのかと思うほど、多種多様な看板が求められる時代になっている。
ホリエ看板店では30年前にいち早く、パソコンを導入。さまざまなソフトを使い、カッティングシートなど耐久性の高い素材に印刷をし、貼り付けるという、当時の看板業界の最先端の手法を取り入れた。
「初代社長の父がわりと先見の明がある人で、いいんじゃないかと。自分も専門学校でグラフィックデザインを勉強したこともあり、パソコンでの看板作りを始めました」
父は昔ながらの書き文字の看板、浩一さんはパソコンでの作業という時代を経て、今は息子の祐樹さんとさまざまな看板を手がけるようになった。
「今は昔と違って、個人店が元気のない時代。看板だけに限らず、こうしてほしいという依頼があれば、何でもやるようにしています。設置で外仕事をしてきた経験から、ビルに落下防止のネットを張ったりもしています。出来上がりに納得して、喜んでもらえた時がほっとしますし、うれしいですね」
人は目にした看板で、お店の個性やスタイル、雰囲気を最初に感じるもの。そしてお店を出る時、「また、来たいかも」と思う心のどこかに、看板が意外にも残っていたりする。こうしたお客と店の大切なコミュニケーションツールが、信頼できる地元の店にお願いできるのだ。しかも、納得いくまで話し合ってくれる。
「看板は大変だけど、やりがいがありますね」と、飾らない笑顔が何よりうれしい。
お客の思いを、形に
福島から、東京、そして福生へ
へ
ホリエ看板店創業の地は、福島県北部にある飯坂温泉だ。昭和初期、浩一さんの祖父がこの地で看板業を始めたものの、一家は戦前に「東京の方が、仕事があるだろう」と大田区池上に移住。拠点を福生にしたのは、今から60年以上前のことだと言う。
「なぜ、福生だったのかはよくわからないのですが、米軍の仕事があったらしいです。父は、飛行機にペインティングしたと言っていましたし、飲屋街も繁盛していて、かなり仕事があったと聞いています」
浩一さんは生まれも育ちも福生、父の背中を見て育ったせいか、家業を継ぐのは自然な流れだった。
「叔父や父のいとこなども働いていて、家族での個人経営でした。その後みな、独立して出て行きました。当時はペンキで文字を書く、“書き屋”が主流で、みなさん職人ですから、『見て盗め』の時代でしたね」
こんな中、初めて自分で作った看板は今でも鮮明に覚えていると言う。
喜んでもらえることが、やりがいに
ペンキによる書き文字から、時代を見抜き、パソコン導入を決めたのは父だった。それは、正しい判断だったと浩一さん。
「今や、手書きの仕事が要らなくなった時代です。だから逆に自分は、文字は書けません。レイアウトやデザインにこだわり、練りに練ったものを、パソコンで形にしていきます。実際に、自分が作ったものが形として残っていて、それを見るのはうれしいですね」
出来上がった看板を見る、お客の笑顔が何よりのやりがいだ。「きれいにうまく行って、よかったねー」とお互いがそう思えた時、これまでの苦労が喜びに変わるひとときだ。
実はFの店にも、ホリエ看板店作の看板が結構ある。個性豊かな看板を、じっくり見比べながらの街歩きもきっと楽しい。ホリエ看板店親子3代の、それぞれのお店への思いがたっぷり詰まっているのだから。