玉川上水のせせらぎのたもとに、
上質な時間が流れる、檜のカウンターがある。
厳選されたとびきりの素材に、惜しまない手間。
三多摩一と称された初代の名店が、二代目の手で進化中、
今や最強のご褒美スポットだ。
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端正な檜のカウンター。一人でもカップルでも、ゆったりと落ち着ける。ここから至福の時間が始まる
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格調高い雰囲気の個室も用意されている。仲間内で気兼ねなく食事が楽しめる
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この日のコースの前菜がこれ。旨味をまとったいくらが口の中で弾ける
店長からの一言
吉田宏輔さん
白身は活き〆のみを使用、養殖の魚は使いません。その時期の旬の素材を、いい状態にしてご提供できるように心がけています。ぜひ、福生の地酒とともに楽しんでいただけたらと思います。檜のカウンターで、いい時間を味わっていただければ幸いです。どうか、お気軽にお立ち寄りください。
基本情報
店名 | 寿司・ふぐ 吉田 |
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住所 | 福生市福生1179 |
電話 | 042-551-2304 |
営業時間 |
17:00~22:00 (お昼は要予約) |
定休日 | 月曜 |
駐車場 | 10台 |
カード使用 | VISAのみ可 |
URL |
ストーリー
いい素材をとことん使う、だから安くはない
真っ先に目に飛び込んでくるのは、格調高い檜のカウンター。駅から多少歩くが、そこにはひっそりとした隠れ家的空間が待っていた。目の前に板前姿できりりと立つ吉田宏輔さんは、「うちはいいものを使うので、安くはないです。決まった金額はないんですよ」とさらりと言う。父•達雄さんを継いで、「つけ場」に立つ二代目だ。
寿司屋でこう言われれば、さすがにびびる。とにかく、目安をうかがった。
「お寿司が握り7貫と巻物で2000円から、コースが5000円からですね」
5000円なら、がんばれば何とかなる。何より、いろいろ食べてみたいので5000円のコースを注文。
前菜は、「自家製いくらの醤油漬け」。つやつやと光るいくらをスプーンで一口、みずみずしいいくらが弾けるや、いくらとだしの旨みが渾然一体となり口中に広がる。
揚げ物は、「えびしんじょう」。レンコンがしゃきしゃき、ぷりっとした弾力あるえびが何と甘いのだろう。さくっと香ばしく、ビールにぴったり。
続いて、お造りの3種盛り。しっとりと脂ののったマグロに、厚みのある赤貝は磯の香りが素晴らしい。関東にはなかなか出回らないという瀬戸内のアカハタはねっとり、むちっと驚くほどの弾力だ。
「茶碗蒸し」はホタテ、ズワイガニ、ウニの競演という、まさに最強の宝石箱。ウニの濃厚さ、ホタテとカニの旨みがだしの効いたやわらかな卵液をまとい、とろりと溶けていく。
焼き物は、「さわらの塩焼き」。皮目香ばしく、身はふっくらしっとり、いい塩梅の塩に、絶妙の焼き。これぞ、まさしく職人の仕事だ。
こちらの様子を見ながら一品、一品ゆったりと供され、ビールから、やがて燗酒へ。陽気な母・洋子さんや宏輔の妻・三生さんとのおしゃべりも楽しく、女ひとりでもくつろげるカウンターで至福の時が流れていく。
自慢はかんぴょう、卵焼きも絶品
最後はお寿司。宏輔さんが頃合いを見て、握ってくれる。シャリが小さめの小ぶりな握り。シャリに砂糖を使わないのが、こちらの特徴。達雄さんが言う。
「自分が修行した、浅草の店がそうだったの」
シャリ担当は昔から、母の洋子さん。昆布のだしをたっぷり取っているからか、酢と塩だけなのにツンとしたカドがなく、丸みがあって自然な甘みを感じる。塩は、五島列島産のこだわりの粗塩だ。
ネタにはどれも丁寧な仕事がなされ、それぞれの風味、甘みを十分にまとい、口に含むと、シャリがほろりとほどける。なんという、絶妙さ。宏輔さんが言う。
「魚をもっともいい状態で、いかに出せるか、どう保存するか。ここがプロの腕の見せ所ですね。熟成したほうが美味しくなるものがたくさんあります。基本、養殖の魚は使いませんし、マグロの冷凍ものは入れません」
ショーケースに美しく並ぶ、ネタの数々。そこには細心の気配りと、プロの技がきっちりと仕込まれてある。
常連のお客さん一押しが、卵焼き。ふんわりふわふわ、だしがしっかり効いた甘めの卵焼きは驚愕の一品、すぐにカウンターにいる全員が笑顔になった。
巻物はかんぴょう。「うちの自慢です」と宏輔さん。肉厚のかんぴょうが絶妙の味付けで、ふっくらと柔らかく煮込まれ、どこか懐かしい気持ちを呼び起こす。派手ではないのに絶品の〆があるのも、リピーター客が多い所以ではないか。
この充実のコース、瓶ビールと熱燗一合で本日の会計は6700円。「安くはない」と宏輔さんは最初に言ったが、バラエティ豊かな上質な料理をいただけてこの値段、決して高くない。いや満足度が非常に高く、ほろ酔いで店を出る頃にはシアワセな「お得感」に包まれていた。
檜のカウンターで、お寿司とお酒を楽しんで
強いこだわりがなかったからこそ
創業は昭和47年、浅草で修行し、銀座の料亭で仕事をした達雄さんが地元・福生で開業。夫が23歳、妻が24歳と若い夫婦が力を合わせて、二人三脚でここまできた。宏輔さんはこう聞いている。
「都会のものを、地元で食べられると評判になったようです。親父は新しいことが好きで、ビーフシチューとか洋食も結構出していて、お客さまの要望にとことん応える店でした。寿司屋なのに、『パン、出せ』と言われればパンを出して、お寿司を食べないで帰っていくとか」
ふぐに鱧、穴子の白焼きなど当時、西多摩ではなかなかお目にかかれない「食」を味わえる店とあって繁盛した。
高校卒業後、進路を定めかねている宏輔さんに「京都の料亭」での修行が提案され、「西多摩から出られるし、面白そう」と乗った。祇園にある、カウンター割烹の店。地元の名士、芸妓さん、舞妓さんが利用する店だった。
「料理のことを何も知らない分、怒られてもよくわからないんですよ。みんな、どんどん辞めていくけれど、厳しいことがあっても何とか続きました」
18歳から21歳まで、住み込みで給料6万の生活を送った。
「親の店に帰る人は長くいるといけないというので、3年で戻ってきました」
じゃあ、その後、父の下で修行を続けたかといえば,「30歳までは好きな事をやりたい」と音響の専門学校や営業など、飲食以外の仕事をする。
30歳で店に入ってほどなく、達雄さんが病に倒れた。
「それまでは親の店をどう支えるかという立ち位置だったのに、自分がやらざるを得なくなった。手伝っておいてよかったですよ、親の仕事を手元で見られたので」
京都の料亭とは仕事がだいぶ違った。しかし、何が幸いするかわからない。
「こうじゃないといけないという強いこだわりがなく、頭が柔らかかったので、そのまま受け入れられた。だから、よかったんだと思います。今になって、いろんなことがようやくわかるようになってきました」
繊細な京懐石の技を、地元・福生で
父が黙々と行ってきた仕事の重みを実感したのは、市場に行った時だ。
「『吉田です』と言うと、対応が全く違う。『吉田さんなら、いいもの、出してやるよ』って。こういうつながりで生かされているって思いました。一人じゃ何もできない。いろいろな方の力を借りて仕事ができる。だんだん、仕事が面白くなりました」
いかに、父の代のお客様に納得してもらえるか。自分の考えだけで、いきなり新しいことはしない。無理なくスムーズに、自分の代に移行できればと思っていた。
「ありがたいことに、今までのお客さまより下の世代の新しい方にいらしてもらえるようになりました。新しく来ていただいた方に、もう一度来ていただけるようにと、がんばっています」
こだわるのは父の代から変わらず、いいものを出す。その日の市場にある時季のもの、旬の食材を、いい状態でいかに提供できるかに力を注ぐ。さらに父が培ったものの上に、京都で修行してきた技を入れ込んだ。
それを象徴するのが、穴子の握りだ。江戸前風にふっくらと煮上げるのではなく、関西風に香ばしく焼き上げた穴子を煮切りと白焼きで提供するという、ちょっと変わったスタイル。肉厚で皮目がパリッと焼かれた穴子を,塩でいただくなんて初めてだ。香ばしく、旨味たっぷり。煮切りのスッキリとしたタレが重ったるくなくて、またいい。関東ではなかなか食せない,貴重な穴子の握りだった。
鱧の吸い物も、のどぐろの焼き物も,これぞ京都の料亭といった一品。京都ならではの繊細な技を、地元・福生で味わえるなんて幸せすぎる。
女性一人でもゆったりくつろげる貴重なカウンターで、時に自分へのご褒美タイムも悪くない。好みを握ってもらい、地酒をキュッ。ああ、これぞ、大人の珠玉の時間だ。