文房具屋さんの店先から、<時代>が見える!?
かつて、ガキ大将がいた頃

製図関係の専門道具もふんだんに揃う。美術・画材関係も、わざわざ世界堂に足を運ぶまでもないほどだ。
町の文房具屋さんの生き残りをかけて
日本全国どこの商店街からも今、文房具屋さんが消えている。量販店の進出に加え通販、100円ショップなどが安価な文具を扱うようになったからだ。「確かに、影響は大きいです」と山崎さん。「しかし、そろそろ、すみわけができてくるのではとも思うんです。これは安くていい、でもこれはいい製品じゃなきゃと。だからこそ、いい製品を、喜ばれる価格で販売していきたい」と願う。山崎さんは、メーカーの研修会などで勉強することを欠かさない。「世の中の流れが早いですから、自分の目で勉強していかないと。率先して前に向かっていかないとダメになってくる」と。メーカーとのパイプを積極的に開拓したのも、生き残りをかけてのことだ。
今後は紙だと、山崎さんは言う。「ありきたりな製品だけではなく、特殊な紙がすぐ入るように」ルートも確立した。お客が本当に欲しているものに、どこまでも付き合ってくれる商売があってもいい。それは、絶対に無くてはならないもののはずだ。

これだけ法令様式を完備している店はあまり無いという。










やまみ屋の創業は、今から50年前。所沢にある日用品の卸問屋で働いていた山崎さんのお父さん・武美さん(大正9年生まれ)が35歳の時、妻のふるさと・福生で、日用品の店を構えたのが始まりだ。主婦相手の商売にやがて、小中学生のための文房具も扱うようになる。
昭和30年代の銀座通りは舗装されていない砂利道で、空き地も多く、腕白小僧たちはいたずらをして大人たちに追いかけられる日々を過ごしていたという。「実はガキ大将だった」と山崎さん。「あの頃は、子どもたちがとぐろを巻いて遊んでいたよ。店は小学生でいつも、ごったがえしてた」と。当時は朝7時に店を開けていた。「学校に行く前に、買いにくる子がいましたし。店を閉めるのは夜8時、近くにそろばん塾があったから」。闇に浮かぶ、やまみ屋の灯りに、塾帰りの子どもたちはどれだけホッとし、足を緩めたことだろう。
ガキ大将が消え、外で遊ぶ子どもの集団が銀座通りから消えた頃から、やまみ屋の商品の主力は事務用品へと変わっていく。「子どもの数がガタガタ、目に見えて減っていった」と山崎さん。転機は、20年ほど前。子どもと入れ替わるように、福生に企業が増えてきた。