こつこつと、「信用」という種を蒔き・・ 山下酒店誕生秘話
小河内から、福生へ―

地域を大事にしなさいよ
「よそ者だから、なじむまでは大変だったらしいよ」と進さん。なのになぜ、ここまで店を育てることができたかという問いに、すぐさま「信用だね。オヤジはまじめにコツコツ信用を築いてきた」と声が返ってきた。出征し、シベリアに抑留されたという久吉さん。そのつらい体験ゆえか、「常に困った人の面倒を見ながら、商売を広げていった」という。
今もかくしゃくと元気な久吉さんの口癖は、「地域を大事にしなさいよ、人間関係を大事にしなさいよ」だという。そうやって久吉さんは新天地に、誠実さという種を蒔き、「信用」という果実を育てていった。久吉さんの基本は、地域に貢献することだったと進さんは語る。
人と人とのかかわりの中で
進さんは45歳で店を継いだ。そして父の時代では到底考えられなかった、新しい試みにチャレンジした。それは、価格破壊。「安売りをやった年末なんて、朝から晩までレジはずっと行列。もう、お客の顔も見られない。そんな暇はないの。商売として正しくないと思ったね」と進さん。3年半、一日も休まず、必死で酒屋に専念した。当然、売り上げは伸びた。だが残ったのは、「むなしさ」だったという。進さんは大事なことに気づいた。それは人間関係だった。一転して町会役員、PTA会長、市会議員も三期務め、50代で議長に就任。父がそうであったように、「地域に貢献」することを基本とした。そして59歳の今春、引退。再び、酒屋に戻ってきた。今度は、息子という新たなパートナーを得て・・。
「スーパーが酒を売る時代にあって、商売を継続していくには、安さじゃなく、支持の得られる商品をどれだけ揃えるかということと、お客さんとのコミュニケーションだと思うんです。それもべたべたした関係じゃなく、あっさりと広く浅く。やはり顔の見える関係を大事にしてやっていきたいですね」
モノだけがネットを通して行き交う時代にあって、福生に「町の御用聞き」が戻ってきた。人と人とのかかわりの中で育まれる、商売という営みが・・。











深く切れ込んだ谷と、幾重にも連なる山なみ―、この奥多摩湖の湖底に沈んだ村に山下酒店のルーツがある。現店主・進さんの父・山下久吉さんは、「ダム疎開」により、妻とともに生まれ育った土地と訣別し、奥多摩・小河内から、ここ福生にやってきた。そして酒屋を開業、ここに山下酒店が誕生する。時は、昭和16年のことだった。
進さんが「オヤジは、18歳で仲人をやったというほどの人なんだよ」と、父のエピソードを開陳する。「貧しい家だったから、オヤジは12歳で青梅の米屋へ丁稚奉公に行ったらしいよ。祖父が早く亡くなったから家に戻って、炭の仲買をやったり・・」と進さん。やがて久吉さんは、奥多摩・氷川に酒屋を開く。当時、清酒は統制商品ゆえ、販売許可の免許を取るのが大変だったというが・・(このおかげで、福生でもすぐに酒屋を開業できた)。そして「平らでいいから、出てこいよ」の呼びかけに応じ、山の生活と別れ、「平らな土地」=福生を新天地に決めたのだった。