"わが家流"暮らし方を、叶えてくれる家造り
アマノケンチクカブシキカイシャ
天野建築(株)
「ご希望にとことん応えること」に、自信があります。
- 住所
- 福生市熊川182
- TEL
- 042-553-0643
"信頼のネットワーク"があればこそ
江戸の職人から、建築の激変期へ

昭和16年、福生第2小学校の棟上げ式。
ズラリと勢ぞろいした職人衆が頼もしい。
棟梁の1人として、天野さんの祖父も関わった。
ズラリと勢ぞろいした職人衆が頼もしい。
棟梁の1人として、天野さんの祖父も関わった。
自然の素材で、土地にあった建て方で
それらは、効率優先の建築だった。天野さんは今、自然素材の良さを痛感する。「木や自然素材の塗り壁なら、呼吸をしているので湿気の調整をしてくれる。押し入れは、クロスをやめようと言いますよ。塗り壁にしたら、湿気取りの必要がなくなります。デザイン優先で減ってきていますが、日本の風土にはやっぱり庇(ひさし)が必要です」とこれが、経験で得た答えだった。
「ハウスメーカーでは間口を1m80㎝以上、なかなか開けられないんです。開けると、梁を大きくしないといけないから。ウチならハウスメーカーが絶対できない間取りも、造れますよ」
つまり効率優先の家造りは、人が「家」に合わせるというシステムなのだ。それは違うというのが、天野さんの一貫した考えだ。
家造りで大事なのが、職人のネットワークだという。「建築大工だけじゃ、家は建たない。いい業者=優秀なパートを選んで、取りまとめるのが私の仕事。いわば、協力工事店というオーケストラの指揮者ですよ」と天野さん。「15から16業者が必要で、福生近隣に、2代3代とお願いしている、信頼できる"職人ネットワーク"がある」と、何とも頼もしい限りではないか。
今こそ、お仕着せの「家」ではなく、人を主人公にした「家」を見直すべきなのかもしれない。天野さん曰く、何と「軽自動車1台分」ほどの上乗せで可能!というのだから。

代々受け継いだ、職人仕事の勘と、在来工法の良さを知った上で、新しいものを取り入れる。造るのは、「長くもつ家」










熊川の「天野」という大工集団の始まりは、江戸の終わり頃という。曽祖父は寺院建築も手掛け、祖父は昭和16年、福生2小の校舎建築という大任にあたった。家に昔から伝わる作業着=半纏に染め抜かれた、「大」と「久」を合わせた紋は、祖父の「久幸」という名から取ったものではと天野さん。祖父の代に、大工として隆盛を極めた証なのか。
職人仕事の基本は、「目で盗め」。棟梁の家に大勢の弟子が住み込んで、腕を磨いて独立する。これが、江戸の昔から続いてきたシステムだ。天野さんは住込み職人と暮らした、最後の世代となった。一緒に遊ぶ日常の中、大工仕事を見て育つ。
大学卒業後、家業を継いだ。「職人としてのスタートは遅かったけれど、仕事は見ていた。あとは刃物さえ砥げれば、一人前」と、「目で盗め」の教えのもと、自分で考え、身体で覚えたことが結果として役に立ったという。
一本立ちした天野さんが遭遇したのは、激変の時代だった。昭和から平成へ、建築は大きく変化する。サッシが登場し、外壁は木材からモルタル、そしてサイディング(注2)へ。工期は一気に短縮した。ドアなどの内装材が取付けになり、塗り壁はクロスへ、床は合板のフローリングへ。そして10年前、プレカットが登場した。
(注2)サイディング:工場生産された乾式板状の外装材を貼り付けていくこと