目指すは、畳と人のいい関係
畳は、いつから暮らしの中に?

部屋いっぱいに広がる。
小林畳店創業
小林畳店の創業者であり、昭さんの父・豊次郎さんは、明治36年生まれ。「12~13歳頃から畳職人の仕事に入って、ずっと修行して、大正時代から腕一本の職人として現場を歩き・・」と昭さん。かつて畳職人は現場に出向き、制作から据え付けまで一貫して行ったという。豊次郎さんの腕は相当なものだった。「高尾山のお寺を任されたということは、高い技術がないと無理」とのこと。戦後、豊次郎さんは自分の店を開く。時は昭和22~23年、昭さんが小学校に入った頃だった。
昭さんは昭和29年、15歳で畳職人の道を志し、イチから父に仕込まれた。「最初は芯に使うワラを梳いたり、包丁を研いだり、それぐらいしか、やらせてもらえないの。その次に薄縁(うすべり)を縫わせてもらえて・・」と指導は非常に厳しかったという。
昭さんの胸には今も、父の言葉が生きている。「仕事はきっちりしなさいよ。安かろう、早かろうじゃなく、常にプロの目からみた、いい仕事を・・」と。
今こそ、畳の良さを見直して・・
畳は手入れ次第で、30年以上長持ちする優れもの。気分を変えるには「表替え」や「裏返し」が一番。新しい畳表はいい香りと、色合いをもたらし、部屋の空気をおいしいものにしてくれる。“視て、触れて、香って・・”と、ここまで五感に優しい素材はそうはない。
小林畳店では、畳が本来もっている良さをアピールすると同時に、今こそ、“人と畳のいい関係”を提案したいという。
進化する「畳表」、より機能的になる「畳床」、変えるだけで部屋の雰囲気が変わる「畳縁」。つまり畳の「表替え」ひとつで、家具やカーテンを新調する以上の、部屋の模様替えになるというわけだ。
とにかく一度、お店に足を運ぶことをおすすめする。工事以外はなじみが薄い畳店だが、小林畳店ではインクなどのしみ、ダニ、カビ等、あらゆる畳のトラブルの相談に乗ってくれる。「工事に結びつかなくてもいいんですよ、どうかお気軽に・・」と、昭さんの妻・ヒロ子さん。こんな気さくな“町の畳屋さん”が、健在だということを素直に喜びたい。

ヒロ子さんと和博さんの妻・由美子さんが作っている。










いくら居住空間が洋風化したとはいえ、平成の今にあっても畳と日本人は、切っても切れない関係にある。それは長い年月をかけて、この国で培われて来た、体内感覚のようなものなのだろうか。誰もが思い起こせる、真夏の畳のひんやりとした心地よさ、新しい畳の香りを吸い込んだ時、胸に満ちてくる懐かしさや郷愁はきっと、そのせいだ。
畳は渡来品ではなく、純粋に日本固有の敷物。畳床のある現在の畳に似た構造になったのは、平安時代のこと。貴族が「置き畳」として使用したことから始まり、やがて書院造りが生まれ部屋全体に敷きつめるものとなり、茶道の正座文化を支え、江戸時代には「御畳奉行(おたたみぶぎょう)」職が造られるほど重要なものとなる。畳職人という職種が確立したのもこの頃だが、庶民が使用できるようになったのは江戸中期以降で、畳師・畳屋といった人々が活躍し、畳干しをする光景があちこちで見られるようになったという。