大多摩ハム物語
ハムの名門、ドイツ式の風味

左:小林榮治氏
右:ローマイヤー氏
右:ローマイヤー氏
伝統を守ることと、挑戦と…
たとえばベーコン。ほとんどの日本のメーカーは製造時間の短縮のため「煮る・蒸す」などの加熱処理をする。しかしドイツでは、2昼夜とことん燻して仕上げる。量産には向かないが、風味や食感が格段に違うという。大多摩ハムのベーコンの美味しさに、衝撃を受けるのはそのためだ。
先見的試みであるX豚の加工品も、「この肉の良さを生かすには、添加物を極力廃さないといけない。添加物に頼らないドイツ式製法とX豚は、相性がよかったんです」と小林社長。ということは、03年、東京都からX豚のベーコンなど3品が「都地域特産品認証食品」に選ばれたことも、創業以来、手間を惜しまぬドイツ式製法を堅持してきたからだった。

日本初の農林規格<JAS>認定(62年)、日本で初めての無添加ハム・ソーセージの開発(72年)等、大多摩ハムの歩みは、いかにメーカーとして誠実にあらねばという精神に貫かれている。だからこそ間違いのない贈り物として今や、自信を持って勧められる福生土産の代表格になっている。
地元に胸を張って誇れるメーカーがあることを、心から喜びたい。
地元に胸を張って誇れるメーカーがあることを、心から喜びたい。










すべてのはじまりは、一人のドイツ人技師との出会いだった。大多摩ハム創業者・小林榮治氏は1921(大正10)年、弱冠14歳で、日本にドイツ式ハムを広めようと工場を開いたアウグスト・ローマイヤー氏のもとで働くことになる。
彼は谷崎潤一郎の『細雪』で、「妙子は銀座まで出かけるなら・・ローマイヤアへ行きたいと・・」と書かれたレストランのオーナーでもあるドイツのマイスターだった。小林少年は、その懸命な働きぶりでローマイヤー氏に可愛がられ、高校に通わせてもらう一方、秘伝の作業も伝授された。これは、一子相伝といってもいい。ここに「ドイツ式の風味」を堅持する、大多摩ハムの原点がある
(それにしてもその少年の孫が60数年後に、祖父の思いに憧れ、ドイツの地に渡り、新たな出会いを得て、「ドイツ式の風味」に更なる血と肉を吹き込むことを誰が予見し得ただろう)。
1932(昭和7)年、榮治氏は荏原で独立、「小林ハム商会」を設立した。空襲で焼け出され、福生に移り工場を再開、47(昭和21)年、「大多摩ハム小林商会」がここに誕生した。